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日本皮革創業の発起人の一人。創業時の取締役で、大倉喜八郎とともにニッピの基礎を築いた人物。
引用文献等:ニッピ110年史
日本皮革創業の発起人の一人。創業時の取締役会長。大倉財閥と呼ばれた巨大企業体を一代で作り上げた実業家。江戸時代に商人として身を起こし、明治時代には男爵に。江戸時代の終わりから明治、大正にかけて日本の近代産業の基を築いた。
ニッピの前身企業の一つ。大倉組商会が1879年に大阪に製革場を起こした。1906年に、桜組、大倉組皮革製造所(以下「大倉組」)、東京製皮、今宮製革所の製革業者4社が合併計画をすすめ、最終的には桜組、大倉組、東京製皮の3社合併で1907年4月1日に日本皮革株式会社を創業した。
ニッピの前身企業の一つ。1870年に西村勝三が起こし、1984年から桜組を称した。日露戦争終結後、それまで生産の大部分を占めていた軍需品がの需要が激減し、皮革産業界では工場の閉鎖が相次ぐなど深刻な状態にあった。戦時中に軍用革具の製造に従事していた櫻組の社長西村勝三の提唱により、大倉組皮革製造所、東京製皮、今宮製革所による合併計画が動き出した。最終的には桜組、大倉組、東京製皮の3社が合併して、1907年4月1日に日本皮革株式会社が創業した。
日本皮革創業の発起人の一人であり、創業時の相談役。「近代日本経済の父」と称される。生涯に約500の会社に関わり、同時に約600の社会公共事業にも尽力した人物。桜組の出資者でもあった。
引用文献等:ニッピ110年史、公益財団法人渋沢栄一記念財団HP
ニッピの前身企業の一つ。賀田金三郎が発起人となり、1900年に東京製皮合資会社設立。1906年に、桜組、大倉組皮革製造所(以下「大倉組」)、東京製皮、今宮製革所の製革業者4社が合併計画をすすめ、最終的には桜組、大倉組、東京製皮の3社合併で1907年4月1日に日本皮革株式会社が創業した。
ニッピの研究員(1924-1967)。1949年に日本皮革㈱入社。コラーゲンの構造研究に従事し、世界で初めてコラーゲンの可溶化に成功。それまでほとんど溶けないと考えられてきたコラーゲンを、生体内と同じ立体構造を保ったまま効率よく溶かす方法を発見し特許を取得した。(特許登録番号:306922)
引用文献等:西原富雄のコラーゲン研究
日本皮革業界最大の功労者であり、ニッピ創業のきっかけとなった人物(1836―1907)。旧佐倉藩士。1870年に軍用靴製造の目的で始めた製革・製靴事業は旧藩佐倉から名をとって「桜組」として発展。製靴事業は大倉組の製靴部門などと合同して明治35年に日本製靴株式会社(現:株式会社リーガルコーポレーション)創業。製革事業についても大倉組らと合同し製革会社設立を提唱していたが、日本皮革株式会社が創業する前に逝去した。
現:株式会社リーガルコーポレーション(証券コード7938)。ニッピの前身である製革業社4社の製靴部門が合同して1902年(明治35年)に設立された。ニッピの大株主。
現:株式会社ニッピ(証券コード7932)。桜組、大倉組皮革製造所(以下「大倉組」)、東京製皮、今宮製革所という製革業者4社が合併計画をすすめ、最終的には桜組、大倉組、東京製皮の3社合併で1907年4月1日に創業した。
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